大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所浜松支部 昭和25年(ワ)35号 判決

原告 香椎健太郎

右代理人 山根七郎治

被告 村松茂友

外二名

被告兼代理人 杉村逸楼

主文

原告の請求は之を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、訴外亡香椎源太郎が昭和十九年一月二十八日為した遺言は無効であることを確認する。訴訟費用は被告等の負担とするとの判決を求め、其の請求原因として、本籍地福岡県筑柴郡御笠村天山四十九番地訴外香椎源太郎は、昭和十九年一月二十八日自筆証書の遺言状(以下第一遺言書と称する)を作り遺言執行者として被告村松茂友、同杉村逸楼及び訴外太田秀山(其後死亡した)の三名を指定した。被告篠崎昇之助は昭和二十四年十月頃大分家庭裁判所昭和二十四年(家)第六〇二号事件で右亡香椎源太郎の遺言執行者に選任せられたものである。

右香椎源太郎は戸主で、其の長男宗太郎は昭和十九年八月十四日長男である原告を残して戦死した。右源太郎は前記遺言をした後昭和二十一年三月二十三日死亡したので、原告は代襲家督相続人として其の家督を相続した。

而して右源太郎は永年朝鮮釜山府大庁町二丁目五番地に居住して居たが、昭和十八年頃大分県速見郡由布院村の別莊に引揚げ、其の後昭和二十一年三月二十三日同所に於て死亡した。当時内縁関係にあつた香椎百嘉は前記遺言状を保管して居たので昭和二十一年七月六日大分区裁判所に遺言検認の申立をして其の検認を受けた。

ところが此の遺言状は末尾香椎源太郎署名の下に捺印がないから旧民法第千六十八条第一項、新民法第九百六十八条第一項により無効である。

尚、右源太郎は昭和二十年一月七日別に遺言状(以下第二遺言書と称する)を認めた。此の遺言の内容は前記第一遺言書と全然別個のものであり、右第二遺言書には執行者の指定はないけれども右源太郎の署名下に捺印があるから有効であるが、其の内容は在外資産の処分方法であるから、其の実行は不可能となつた。然し右第二遺言書の封筒に「昭和十九年出発の時に認めたる遺言も共に有効とす」との記載がある。そこで遺言執行者たる被告等は右無効の第一遺言書に基き遺言執行者なりと称して原告の相続財産に関し遺言の執行を為しつつある。然し乍ら、遺言状に他の遺言状を援用するには二者の間に連綴がなくてはならぬ。本件二個の遺言状は各別個のものであつて其の間何等の連綴もない。第二の遺言状の封筒にある前記有効とすとの記載には捺印もなければ連綴もないし、又「昭和十九年出発の時認めたる遺言」とは本件第一遺言書を指すや否やそれ自体では不明である。又遺言者が有効と言つても無効のものが有効にはならない。要するに此の記載のみでは前記第一遺言書を有効とする理由にはならない。

以上の次第であるから、右遺言の無効確認を求むる為本訴を提起した次第であると陳述し、

被告篠崎訴訟代理人兼被告杉村の答弁に対し本件第一遺言書の封筒が同被告等主張のような形式であることは認めるが、封筒は遺言書と別個なものである、其の他原告主張に反する部分は之を否認する。尚事情として本件第一遺言書の内容は遺留分の規定に反して居るのみならず、右源太郎の自筆ではあるが遺言者の真意に出たものではない。抑も同訴外人は遺言書の記載方式等は生前被告村松から詳細に教えられて居るのであつて、それは第二遺言書に捺印してあることによつても之を窺知することができる。然るに第一遺言書に捺印がないのは、同訴外人の深い考慮の結果である。元来同訴外人は当時八十歳に近い高齢であるが、第二号婦人である前記訴外百嘉は三十歳に達しない。其の婦人の面前で認め、同女に保管させたその遺言書の内容には財産の一分を遺贈すると記載されて居るが、其の一分の中に由布院一切の財産を含むとあり、其の他の財産としては遺言者の財産は山口県に七百坪位の不動産位のものであつて、本件第一遺言書の内容は相続人である原告に薄く、其の他の者に厚い結果となつて居るのであつて、右源太郎の真意に出たものでないことが知られる。

同訴外人所有の由布院所在の山林数十町歩(現在の時価二百万円)は、昭和十八年頃相続人であつた前記宗太郎の所有名義であつた前、右源太郎は之を取上げ、自己の実子である訴外静子、道子及び第二号婦人である前記百嘉の三名に贈与した外、右百嘉に対しては由布院村所在の自己所有の別莊の内宅地二百坪建物の内一棟を贈与し、残りの部分は本件第一遺言書より遺贈した。而て其の他の右源太郎所有の不動産は山口県下関市に七百坪の別莊があるが、其の価格は僅かに二十万円程度に過ぎないのであつて、かように不公平な遺産分配は同人の真意でない。相続人である原告は釜山府より無一物で引揚げ、今日では母子三名生活に困窮して居る実状であると附陳し、

立証として甲第一、二号証及び同第三、四号証の各一、二を援用した。

被告村松茂友は、原告請求通りの判決を求め、原告主張の請求原因は全部之を認め、甲号各証の成立を認め、其の立証趣旨も又之を認めた上、同被告は遺言者香椎源太郎の従弟であり、被告杉村逸楼は元朝鮮釜山府に於て検事正退職後弁護士をして居た者、被告篠崎昇之助は元同府所在の新聞社釜山日報の副社長をして居た者であるが、右遺言者は終戦前金一千四、五百万円の資産を有して居たけれども、朝鮮に在つた資産は接収され、日本に在つた資産は僅少であつた為、原告及び其の親権者香椎智恵子は朝鮮から引揚げた後生活に困窮して居る状態であると附陳した。

被告篠崎昇之助訴訟代理人兼被告杉村逸楼は、主文と同趣旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因たる事実中、訴外香椎源太郎が、昭和十九年一月二十八日自筆証書の遺言状を作成し、原告主張のような経緯から被告等が遺言執行者となつたこと、同訴外人が昭和二十一年三月二十三日死亡した結果、原告が、原告主張のような関係から其の家督相続をなしたこと、同訴外人の経歴が原告主張通りであること、訴外香椎百嘉が原告主張のような事情で、右遺言書の検認を受けたことは何れも之を認めるが、其の他は否認する。第一遺言書末尾香椎源太郎の名下に捺印はないが、之と同一体を為し遺言書の一部と見るべき封筒の裏面に「昭和十九年一月二十八日香椎源太郎」と記し、上部封じ目中央に「封」と大書し、同封じ目右寄り及び右香椎源太郎名下の下部封じ目中央に同人の印を押捺してあるから旧民法第九百六十八条第一項に依り右遺言書は有効である。

即ち封筒も遺言書の一部と見るべきことは独乙帝国裁判所の判示する通りであつて、封筒の捺印ある以上、この遺言書は方式を具備して居り有効である。

或は右旧新民法第一項の「之に捺印」するとは単に遺言書に捺印する意味であり、封筒にある捺印は封印であつて氏名に対する捺印でないから、この遺言書は方式に欠き無効であると主張するかも知れないが、封筒の上部の印は別として、下部の印は氏名の下にあり、氏名に対する捺印であると言うことができる。右の議論に対し、右印は氏名の真下よりも少し右に寄り、且氏名との間に多少の間隙があるから氏名に対する捺印とは言えないとの主張があるかも知れないが、氏名に対する捺印と言うも、その位置に付て厳格な定めがある訳ではない。況んや右旧新民法の第二項には捺印すべき場所を指示してあり、この指示の場所以外に捺印するも効力がない旨の明記があるに拘らず、その第一項には捺印の場所に付何等の指示がないに於ておやである。又下部の封の境目にあるから封印であつて、氏名に対する捺印でないとの主張があるかも知れないが、強いて封印であると解する必要もなく、又仮令封印であると解し得ても、封印であると同時に氏名に対する捺印であつて差支ない。遺言書は氏名に対する捺印を下部の封の境目にかからせて、同時に封印たる役目をなさせたと解すべきであることは、第二遺言書を見れば、遺言者の意図が右の如くであることが明瞭である。

仮りに第一遺言書が方式を欠いて無効であるとしても、第二遺言書に依つてその遺言書の一部として有効である。(追認ではない)即ち第二遺言書が、方式を具備して有効であることは明かであつて、その封筒(封筒も遺言書の一部であることは前記の通りである)の表面に「昭和十九年出発の時認めた遺言も共に有効とす」とある、この昭和十九年出発の時認めた遺言とは、前述の第一遺言書を指すことは明かである。若し第一遺言書が方式を欠くとの理由で無効であるとしても、右の「共に有効とす」との文言によつて有効となる。之を法律的に言えば、第一遺言書は第二遺言書の一部となつて有効なのである。遺言書は数通の文書となつても差支なく、又同日に作成する必要もない。日を異にし、数葉の文書となつても最後に日附を書き、氏名を自書し、捺印した日に全体が一の遺言となるのである。第一遺言書が方式を具備し、其文で有効であれば、法律上それは一個の遺言であり、第二遺言書と二つの遺言があることになるが、第一遺言書が方式を欠き、無効であるとすれば、両者が法律上一個の遺言書として有効なのである。此の場合は第一遺言書に書かれた内容も、遺言書として成立したのは第二遺言書の日附である昭和二十年一月七日と言うことになる。以上の通りであるから、何れにしても本件遺言は有効であり、原告の本訴請求は失当である。

尚第一遺言書の内容が民法所定の遺留分の規定に反することは認めるが、遺言執行者等協議の上原告に対する分与比率三分の一を規定通り二分の一に変更して執行して居るから、右遺言は無効とはならない。又同遺言が遺言者の真意に出たものでないとの原告主張は之を否認する。

次に被告等が遺言執行者として昭和二十一年本遺言の執行に着手して以来今日に至る迄の経過の大要を記述して参考に供すれば、昭和二十一年七月六日大分区裁判所で遺言書の検認を受けた時、第一遺言書の香椎源太郎名下に捺印のないことを知つたが、被告村松茂友及び杉村逸楼は共に研究協議の結果右遺言を有効と認め、其の線に沿うて執行を進めるよう決定し、原告其の他の受遺者にも有効なる旨を告げ、爾来右両被告は遺言書記載の分与比率に従い(但し原告に対しては前記の通り二分の一の比率に変更して執行することとした)在外資産を除き数回に亘つて遺産分配を為し、分与を受けた者は既に之を売却又は消費して生活費に充当し、各手許には殆んどないのみならず、目下約八十パーセントの分与を終つた際、突如として本訴を提起されたことは実に意外であつて、遺言者の為、遺言執行者の為、将た又親族の為誠に悲しむべきことである。特に遺言者の従弟である被告村松茂友が中途から遺言者の意思を無視し、その信頼を裏切つて無効論を唱え、原告の親権者と通謀して本訴を提起するに至つたのは、遺言者が生前設立した日本硬質陶器株式会社の重役間の紛争の結果同被告が其の社長の地位を退かせられた感情より出たもので、公私を混淆した感あるは遺憾の極である。遺言者は朝鮮に於ける成功者で、水産王と称せられ、巨万の富を擁し、実業界並に政界に活躍貢献して、朝鮮の財、政両界の元老として重きを為し、多年国家の為に尽瘁した功労により正六位に敍せられた名士である。被告杉村逸楼は朝鮮釜山府に於て検事正時代から同人逝去に至る迄三十年に近い親交を続け、退官後は遺言者と共に多数会社の重役を勤め、傍ら同志として共に地方政治界に携つて居た為、親友として遺言執行者に指定されたものであるから、遺言者の意思を尊重し、遺言者の為に誠心誠意之が執行に努力を続けて来たが、不幸にして遺産分配の為に親族間に争議を醸し、終に法廷に於て醜態を曝露し、遺言者の霊と名誉を冒涜するに至つたことは遺憾に堪えない。尚第一遺言書の受遺者六名の続柄は(イ)宗太郎は遺言者の長男、(ロ)正明(姓香椎)は遺言者の実子である長女香椎静子の長男、(ハ)大鳥居(名は道子)は遺言者の実子である二女、(ニ)船越(名は時代)は遺言者の実妹、(ホ)山田(名は陽一)は遺言者の実妹の長男、(ヘ)百嘉(姓香椎)は表面上遺言者の分家戸主となつて居るが、実際は遺言者の二号夫人であると述べ、甲号各証の成立を認め其の立証趣旨を否認した。

理由

被告村松茂友は原告の請求を認諾するけれども、本件は訴訟関係が合一にのみ確定すべき場合であるところ、被告杉村逸楼及び篠崎昇之助は原告の本訴請求に対し争つて居るから、被告村松茂友も右被告両名の本件請求原因に対する答弁の通りのべたものと看做すべきである。

よつて右に基いて審究すれば、訴外香椎源太郎が昭和十九年一月二十八日遺言書を作成したこと、同訴外人が其の後昭和二十一年三月二十三日死亡した結果昭和二十一年七月六日大分区裁判所に於て右遺言書の検認を受けたこと、原告が右遺言者の家督相続人であり、被告等が右遺言の執行者であること、右遺言の内容を記載した書面に遺言者訴外香椎源太郎の署名が存するけれども、右署名下に捺印がないこと、右書面は封筒に入れられ封じてあつたこと、右封筒の裏面の封じ目上下二個所に右訴外人の捺印があること、及び右書面並に封筒の各記載とも同訴外人の自筆であることは何れも当事者間に争がないところ、原告は、右遺言者と封筒は別個のものであり、同遺言書の右署名下に捺印がないから無効であると主張し、被告等は右書面と封筒とは一体を為して居り、而も右封筒には遺言者の署名捺印があるから方式を具備した有効のものであると争うから此の点に付て考察を加えると通常の場合封筒は、其の内容物である書面と別個のものであると観察すべきは、原告所論の通りである。

もとより、自筆証書による遺言は其の性質上方式に付て厳格に解さなければならないが、一概に形式論を以てすることも遺言者の真意に反する結果をもたらし、無用の紛争を惹起し却て法の意図するところに合致しない結果に立至ることもあるから、其の解釈に当つては個々の案件に付て具体的妥当性を発見するように努めなければならない。よつて本件の場合を仔細に考究すると、本件第一遺言書の封筒表面に「遺言状」とあり、其の裏面には上部封じ目中央に「封」、右側に年月日、中央に「香椎源太郎」なる遺言者の名前が何れも自筆を以て記載され、上部封じ目の右寄りの個所と、右署名の右下同署名の末尾に接着した部分で下部封じ目中央やや右寄りの個所とに夫々遺言者の捺印があることは何れも当事者間に争なく、且甲第一号証の一、二によつても明白なところであつて、かような場合、右封筒は正に其の内容物である前記書面と一体を為すものであると認むべきであり、此の解釈は作成者の意思に合致するばかりでなく、客観的にも妥当であること、恰も数葉の書面が、契印を以て一個の文書と認められるものと同一であると言うべきであり、即ち言葉を代えて言えば、右封筒は、被告主張の通り前記遺言書の一部であると認められ、右認定を覆すに足る何等の証左もない。

而て、右遺言書が有効であるか否かは、右遺言者死亡の日即ち右遺言が効力を発生すべき日が当事者間に争のない昭和二十一年三月二十三日であるから、昭和二十二年法律第二百二十二号民法の一部を改正する法律附則第四条により、右法律を以て改正前の民法第千六十八条によつて決せられるところ、同条に所謂捺印とは遺言者の署名に付て為されなければならないと解すべきであるが、右捺印は通常署名の下に為されるべきものであつて、本件遺言書中捺印は前記のように封筒裏面の上下二個所に存するだけである。被告は右二個所の捺印中下部の捺印は署名に対する捺印であると主張するのであつて、右捺印の位置が前記当事者間に争のない遺言者の氏名末尾の文字に接着して居る状況に徴すれば、右捺印は被告の主張通り右署名に対する捺印であると認定すべきであり、右のように認定することは、右捺印が封印の役目をも為して居ると認められるのと矛盾しないし、右認定を覆すに足る何等の証拠もない。

従つて本件遺言書は前記改正前の民法所定の捺印を具備した有効のものであると言うべきであるが故に、捺印のないことを前提とする原告の本訴請求は爾余の争点に関する判断を為す迄もなく、理由がないから、之を失当として棄却すべく、訴訟費用の負担に付て民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 播本格一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例